まえしまのブログ

死にゃあせん。©︎母上

住野よる「君の膵臓をたべたい」レビュー

インパクトのあるタイトルだと思った。そしてタイトルと冒頭から、おおかたストーリーの予想はついた。だから映画化と聞くまでは気になっていたけど読まなかった。読みかけの小説もあったし。でも買った。そして読んだ。映画化と聞いてなんとなく気になったからだ。あんまり大きな動機はない。読書ってそんなもんでいいと思う。小難しい本を読む必要はない。小説でもエッセイでも、なんでもいい。気になった本を好きなとこまで読む。たまたま最後まで読めたら、まあ読めなくても、それだけで自分の世界が豊かになる。

今回、この小説を読んで、いくつか感じたことがあったし、自分なりの言葉で紡げそうな気がするので、キーボードに手を伸ばした次第だ。ここから先は、盛大なネタバレというか、結末と核心にガンガン触れていくので、閲覧注意&自己責任とさせていただきたい。

 

【以下閲覧注意・ネタバレあり】

※読みたい人はスクロール

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こんだけ空ければ大丈夫かな。ここまで来てくれた人、ありがとう。君の膵臓をたべたい。目次は以下だ。

⓪ストーリー要約

①タイトルの意味と解釈について

②主人公の名前を伏せる意味と、鳥肌が立った一文

③彼女の死因について

④突っ込みどころ

⑤さいごに

 

⓪根暗で自分の殻に閉じこもっている主人公と、対称的に社交的で陽気なヒロインとの心の触れあいを描いた爽やかな小説。高校生ながら、膵臓に大病を患った彼女の余命はわずかである。よくあるお涙頂戴の設定だろうか。高校生と言う青さ、どこまでも冷静な主人公と、どこまでも明るく快活なヒロイン。このまま、二人の成り行きを見守っていたいと思わせる。ところが、主人公が「この気持ちはなんだ」と少し考え気づき始めたところで彼女は死んでしまう。彼女は病によって死んだのではない。誰にでも起こりうる理不尽な死が、彼女の命を奪った。彼が、そして彼女が、お互いに送りあった最後の言葉。それが「君の膵臓を食べたい」である。心が通っていたこと。繋がっていたこと。届いていたこと。彼はそこで、初めて感情を爆発させる。彼女と過ごしたことで彼は少しずつ変わり始める。他人との関わりから逃げないようになる。「もう、怖いとは思わなかった。」この一文で物語は締めくくられる。もし、自分の命が、1年後、いや半年後、1か月後、1週間後、もしくは、明日。終わるとわかっていたら、私たちは今日をどう生きるべきか。私たちに大きな疑問を投げかけ、大切なことはなにか考えさせられる小説だった。

 

ここからは、私なりの解釈を書いていくので、何卒ご了承いただきたい。

①「君の膵臓をたべたい」、改めてインパクトのあるタイトルだ。どういう意味かは、冒頭で出てくる。主人公とヒロインの何気ない会話のひとつとして出てくる。しかしこの言葉が、すべて読み終わった後、違った意味でとらえられる。日本語を日本語で翻訳するというのもおかしな話だが、訳すならば、「君になりたい」「君が好きだ」「愛している」となるのではないだろうか。最後のは意訳すぎるかな。冒頭では会話の種、冗談のひとつとして出てきた何気ない言葉が、読み進めていくうち、ずっと伏線として読み手の中に残り、読み終えた後に特別な意味を持たせる。『読後、きっとこのタイトルに涙する』。帯には、映画化!の文字とともにこの一文があったが、まんまとやられた。涙まではいかなかったが、心を揺さぶられた。二人をつなぐ言葉として、二人の関係性を表す言葉として、この言葉が使われたのだ。「好きだよ」でも、「ずっと一緒に居て」でも、「死なないで」でもなく。ありふれた言葉ではなく。二人だけが知っている、二人だから分かり合える言葉。それが、「君の膵臓をたべたい」だ。

②読み始めるとすぐに、主人公の名前が意図的に伏せられていることに気づく。というか違和感を覚えた。そこにいる周りの人間との関係性によって、【大人しいクラスメイト】だったり、【仲のいいクラスメイト】だったり、【地味なクラスメイト】だったりする。もしかしたら、普通の小説とは違ったクセのある表現に、戸惑ってしまう人もいるのではないかと思った。明らかに意図的だ。そして、彼の名前は彼女の死後まで決して明かされない。主人公の男子高校生は、友達がおらず、根暗で、自分の殻に閉じこもっている。人との関わりを楽しめない、もしくは頑なに拒んでいるような性格だ。そんな主人公に、すべてとはいかなくとも、共感する人は必ずいるはずだ。悪目立ちせず、注目を浴びず、誰にも迷惑をかけず生きていきたい。主人公に、読み手は皆、程度はそれぞれだろうが、自分を重ね合わせてしまう。作者は、この主人公が決してヒロインの名前を呼ばなかったように、名前を明かすことで主人公を読み手の中の誰かにしたくなかったのではないだろうか。あるいは、周りの人間との関係性でしかその人を見れなくなっている我々に、皮肉の意味も込めているのかもしれない。小説の中には、いくつもの強い言葉、核心をついた言葉が出てきて、挙げ出すときりがないが、私がこの小説で唯一、意味を悟って鳥肌が立った一文がある。彼女の遺書の中に出てくる、「桜が、春を待っているみたいに。」という一文だ。彼女の名前は桜良(さくら)、主人公の名前は春樹(はるき)である。二人は逢うべくして出会った。自ら選んで出会った。彼女を名前で呼ばなかった主人公と、彼を名前で呼べなかった我々。名前が持つ大きな意味を最後に突き付けられ、ただただ鳥肌が止まらなかった。

③彼女は膵臓に病を患っている。余命はわずかだ。家族と、主人公と、読者を除いて、その事実を知る者はいない。それを思わせない変わらぬ振る舞い。周囲との関わりでしか自分を見つけられない。それが彼女にとっての生きることだったから。このヒロインにも多少共感するところはあるかもしれない。自分の命の終わりを知っているというだけで、こんなにも強くなれるものかと思った。ところが、彼女の命は、病によってではなく、無情にも、唐突にも、皮肉にも、「なぜよりによって彼女が…」と思わせるような終わり方をする。彼女が死んでしまう少し前の二人の会話で、「もしかしたら、彼女は膵臓で死ぬんじゃないのかも…」と勘ぐってしまった私の悪い予感は当たった。病ではなく、人の手によって彼女の命は奪われた。私は、憎しみを生むような死に方にしたのはなぜだろうと思った。憎しみは、時に人を狂わせ、大事なものを見失わせるやっかいな感情だ。家族が、友達が、彼女に関わる全ての人が、突然命を奪った犯人に怒りそして憎しみ、身を捨てて攻撃の対象とするのは至極当たり前のことだ。膵臓の病ではない、他の何かでよかったのではないか。例えば不慮の事故とか災害とか。でも待てよ、何か意図があるのかも…。そして気づいた。犯人についての記述はわずかで、憎しみや制裁といった部分には触れられていないことに。深読みしすぎと言われればそれまでだが、この彼女の死因は、「命の終わりはいつ来るかわからない。たとえそれが理不尽な終わり方でも、大事なものを見失うな。」と訴えかけているように感じた。

④さて、とても感動したし、買ってよかった、読んでよかったと思えたが、あくまでフィクションだから、突っ込みどころはいくらでもある。まず、年頃で同年代の女の子に冷静に突っ込んだり、ひねくれた返しをできたりする時点で、彼に友達が一人もいないのは少し設定としてはできすぎている。彼が友達という言葉で他人を見ていないのもあるかもしれないが、あまりに孤高すぎる。まあフィクションとしてはこれくらいがいいのかもしれないが。あとは、理性がでかすぎる。とてつもないでかい理性を持っている。そんな高校生なかなかいないぞと。もっと高校生って馬鹿だし、なんも考えてないぞと。部活とゲームと飯とエロでできてるぞ男子高校生なんて。って、思っちゃったよね。俺だけ?そして、彼女についても。余命が分かっていて、この若さで死と向き合うって、並大抵の精神力じゃない。強靭すぎる。友達に言わず、いつもと同じように振る舞うのが、どれだけつらいか。彼女とは全く違うけど、「死」とうものに本気で向き合ったことがある私から言わせれば、彼女もできすぎだ。そして遺書。あれはずるい。ほんとうにずるい。普段本を読まない女子高生があんな文章が書けるだろうか。死というものは、そんなにも人を強くさせるのだろうか。手書きの文庫として残しているというのも、ちょっと現代的ではないかなと。まあ、これらの突っ込みは、「フィクションだから」と言う言葉ですべて片付く。

⑤でも、フィクションだからこそ、誰も傷つけず学ぶことができる。知ることができる。大事なことは何だろうと、自分の心が答えを探し続けてくれる。フィクションでも、フィクションだから、人は感動できる。成長できる。大事なことに気づくことができる。だからヒロインのように、自分の気持ちを残しておこう。できれば自分の言葉で、自分の字で。日記を書こう。それはとらえようによっては遺書になる。命が大事だ。自分が大事だ。自分の心を見てくれる人が大事だ。見失わないように、なくさないように。落としても、また拾い集められるように。いつ終わるかわからない命を、大切に、丁寧に、時に大胆不敵に、時に後先考えず、時に理性と本能を戦わせて。生きよう。死ぬまで、生きよう。