まえしまのブログ

死にゃあせん。©︎母上

男女間の友情は成立するかという不毛な議論におれが終止符を打つ

理系「いいか、男女間の友情は成立しない。そもそも男女間に友情なんてものは存在しない。人間には生物としての本能がある。男と女は別々の生き物ととらえたほうがいい。理性があるから分かり合えるが、それなしでは子孫を残すための手段を選ばないはずだ。男はなぜ浮気や不倫をするのか。それは本能に忠実だからだ。理性のさじ加減を誤っているというだけで。女性と接したとき、男は本能的に、反射的に、自分のパートナーとしてふさわしいか判断してしまう。潜在的か意識的かは各々異なるだろうが。セックスという行為は、男にとってはゴールで、女にとってはスタートなんだ。ヒトは頭がいいから、理性で物事を判断して制御できるが、結局は本能には逆らえない。男女間に芽生えるのは友情ではなく愛情だ。そしてそれは、新しく授かった命に受け継がれていく。愛情と友情をはき違えてはいけない。

 

文系「いやいや、男女間の友情は成立する。お互いに恋人やパートナーがいて、それでも会いたいと思う仲がある。性別を超えて、本心で話せる相手がいる。子孫を残すなんて大きな目的ではなく、誰かと心で繋がっていたいと望むのも人間の本能ではないのか。小さいころからの付き合いの同年代をを幼馴染というが、ドラマや映画でもない限り、それは美男美女ではないし、異性として意識することもないだろう。つまりそういう関係もある。仮に、それまで友達だった人を好きになったとする。異性として意識したとする。それは愛情かもしれない。しかし、友情とも呼べる。好きだと伝えても、関係が変わることなく続いていくのならば。思いを受け取った側が、決してその人に逃げないのならば。双方が、それでも友達でいたいと思うのならば。それは友情ではないのか。愛情と友情は紙一重だ。

 

おれ「よし、おれが終止符を打とう。まず、ここにある真実は男と女という事のみ。友情の解釈は各々違って当然なのだから、成立もクソもない。愛情と友情は大きく違うと言えば違うし、紙一重といえば紙一重。友情と愛情をどこまでと定義し線引きするのか。それが重要だが、所詮言葉の持つ力など、ヒトの本能には敵わない。果たして、定期的に会い、くだらないことを気兼ねなく話せる仲に生じるのが友情か。距離が離れていても、会える時間が無くても、心で繋がっている仲に生じるものか。触れ合い、絡み合い、隣で眠る仲に生じるのか。世の多くの人は、そんなことを考えずともわかっている。二つの感情は流動的かつ多様に移り変わり、また重なり合っている。明確な線引きなどありはしない。本質は、男女それぞれが、それらをどこでどう自覚するかということだ。その自覚した感情が、相手の感情や価値観と一致していれば、愛情もしくは友情となるのだろう。言葉で表現すればそういう事になるのだが、実際そこまで簡単にいかないのが人間の面白く、切なく、複雑なところではないか。悩んで考えて、正直になったり嘘をついたり、傷つけたり傷ついたり、自分を嫌いになったり好きになったりしながら生きていく。大事なのは、男女間に友情が成立しようがしまいが、相手の心をしっかりと見つめることだ。何を考えているのか、どう思っているのか。それを分かり合って、共に生きていくのだろう。言葉で何もかも決められるわけではない。心が、本当のことを知っている。」