まえしまのブログ

いや、お恥ずかしい

いいこと言ったあとに「そしておれに彼女はいない。」を付け加えると説得力がなくなる。

RADWIMPS。彼らは最高だ。私が好きな曲のひとつにアイアンバイブルという曲があるのだが、彼らはその曲の最後で「ゼロを掛けないで」と歌っている。なんとも核心をついたことを歌っているではないか。私はもう何度もRADWIMPSに感動し、虜にされてきた。これについては語りだすと止まらないのでやめておくが、その「ゼロを掛けないで」という歌詞だけ引用させていただきたい。

私は発見してしまったのだ。具体から抽象へと展開するいいこと言ってる風の文章に「ゼロを掛けて」しまう魔法の言葉、いや、呪いのような言葉を。

 

「そしておれに彼女はいない。」

 

はぁ。思わずため息が漏れてしまう。こんな悲しい言葉があっていいのだろうか。まあしかし、事実なのだから仕方ない。この言葉が最大の効果を発揮するのは恋愛系のそれっぽい文章ではないかと思う。妄想なら自信があるので、早速使ってみることにしよう。くれぐれも、温かい目と穏やかな心で読んでほしい。

 

 

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恋人ができたらしたいことがある。次々思いつくが、残念なことに、消費されず溜まっていく一方だ。

その中のひとつに、『一緒にフェスやライブに行く』というのがある。「まあ、音楽が好きなら、ありきたりだよねw」と、どこかで小馬鹿にする自分がいるが、いやまて、よく考えろ大馬鹿野郎。ありきたりこそ最高だろうが。一緒にRADのライブに行って、一緒に拳を突き上げ、一緒に体を揺らしたいだろうが。寄せ合う身体と繋いだ手にドキドキしたいだろうが。こんなに人を好きになっていいんですかと叫びたいだろうが。

音楽好きの相手ならもちろんいいが、音楽がそこまで好きじゃなくてもいい。バンドをあまり知らない、ライブなんて行ったことがない。好きになった人がたまたまそうだった。そんな相手を、なんとかしてライブに誘う。当然乗り気じゃないが、こちらは必要とあればロックの素晴らしさについてプレゼンテーションを展開する覚悟だ。なんとか熱意が伝わり、一緒に行ってくれることになった。ライブ当日。なんだかんだ言って楽しそうにしているではないか。自分も、自分が行きたくて誘ったので存分に楽しんだ。好きな人と聞く好きなバンドのライブは最高で、きっと彼女もわかってくれただろうと思った。ところが、ライブが終わって家に帰り、興奮も冷めた頃、彼女は本音を言ってくれた。「やっぱり私には、ああいう場所はあんまり向いてないと思った。」・・・うーんそうか、と少し落ち込む。だが、彼女は顔を赤らめてこう続けるのだ。

「でも、楽しんでるあなたは素敵だった。もっとあなたが好きになった。だから今日は行ってよかった。」

 

・・・

 

・・・(照れが限界突破するまでの間)

 

 

「きゃ~~~~~~!!!!!!!なにそれ~~~~~~~~!!!!!!!君と夏フェスのやつ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!」

「爆発してまうやろ~~~~~~~~~~!!!!!!!」

「好きだ~~~~~~~~~~~!!!!!!!」(強く抱きしめる)

 

 

 

 

・・・失礼興奮してしまった。あの〜、ね。妄想って、いいよね。タダだし。

ここからは真面目にいくので許してほしい。

 

この妄想から学ぶべきは、好き同士だからといって、恋人の好きなものを全部丸ごと好きになる必要はないということ。たとえ自分が理解できないものだとしても、それを好きでいる相手のことが好きならば。彼、もしくは彼女が、自分のことを好きでいてくれるならば。

価値観は人それぞれで、多少なりとも異なるのが当然だ。美しさもかっこよさも、楽しさも面白さも、全てを自分と同じように感じる人などいないだろう。価値観に大きな相違があっても、捉え方次第では好相性になりうる。そうやって人は人を知り、受け入れ、そして好きになる。

人に対しても物に対しても「好き」は無敵だが、夢中になりすぎて大切なものを見失ってはいけない。自分の気持ちを大事にできているか。相手をしっかりと見ているか。見失わないように、忘れないように、何度も自らに問いかけ言い聞かす。そうして恋人たちは、恋して、愛して、時に傷つけ合い、許し合い、支え合い、共に歩んでいく。いつか別れが来る時まで。

最後に、一番伝えたいことを言おう。

 

そしておれに彼女はいない。