まえしまのブログ

死にゃあせん。©︎母上

だからあれほど、「ユニクロで買うのは下着とボトムスとUTだけにしろ」って言ったのに...また返品しに行くの?

このセリフ、何回自分に言っているかわからない。ユニクロで全身を固めても格好よく決まるのはイケメン+モデル体型だけだ。だが、好きな服の店やブランドはいくつかあっても全身をそれらで揃えるほどの情熱をファッションに注げない私は、都会にも田舎にも、どんな街にもあるユニクロによく行く。シンプル、ベーシック、スタンダード、機能的。そんな言葉が似合うユニクロである。さらにコストパフォーマンスもなかなかだ。いわゆるファストファッションいわれるジャンルだろう。ついつい買いすぎてしまう。なんだ、いいじゃんこれ。ユニクロでいいじゃんと。もちろんちゃんと試着してるし、しっかり迷って買ってる。しかしなぜだろう。せっかく買ったものを、私はよく返品しに行くのだ。なんとも愚かだ。今回引っ越してからも、ユニクロで色々と買っては返品した。学習しない男である。誤解を招く前に言っておくが、私はユニクロ推したいわけでも否定したいわけでもない。どんなものでもどんな値段でも、欲しいと思ったら買えばいいし、やっぱ違うと思ったら返品するなり売るなりそれは個人の自由だ。しかし、この一連の非常にめんどくさい流れから、あることを思ったのだ。

もう一つ聞いてほしい話がある。スプーンの話だ。引っ越してすぐ、仕事を始める前、新生活で必要な物品を揃えていた。近くにバカでかいホームセンターを見つけたので、そこでキッチン用品や洗濯用品などを買いにいった。最低限と言い聞かせてはいたが、それでも何度も来るのは面倒なので次々カートに放り込んでいった。その中のひとつにスプーンがあった。箸と並んで食事には欠かせないものだろう。大小それぞれ買ったが、値段がやけに張ったのを覚えている。「まっ、しゃーなしだな・・・はは・・・」心の中でそうつぶやいて、そこでの買い物は終わらせた。その後、100均ショップに用があって立ち寄った。そこで私は愕然としたのだ。おいおい、食器類、ここでいいじゃん。キッチン用品、ここでいいじゃん。まって、スプーン、大小とも2個100円で買えるじゃん。あぁ、なんてことだ。なぜ気づかなかったんだ。なぜ先に100均に行かなかったんだ。なんてバカだったんだ。もう買ってしまった。足は疲れ切っているし返品も馬鹿らしい。畜生。反省して次に生かそうにも、次の機会が来ることは果たしてあるだろうか。仮に引っ越すにしても、食器類を捨てることは当分ないだろう。畜生、ちくしょう・・・。そんな風に落ち込みながら帰宅した。たかがスプーンで、と思われるだろうか。いいんだ、小さい男で結構。しかし次の日にアイスクリームを食べたときのことだ。紙カップのものを小さいスプーンで食べた。いつも食べ終わったカップにスプーンをそのまま置いておくと、スプーンの重みでカップ自体がコテンと倒れてきてしまい気になっていたのだが、今回はそうはいかなかった。ちゃんと倒れずにいるではないか。私はすぐに気付いた。スプーンがいいから倒れないのだ。重心がすくう方にあり、持ち手の先にいくにつれて軽くなっている。サイズも計算されている。すばらしい。だから高かったのか。100均のスプーンだったら、倒れていたに違いない。そう思った。

お分かりいただけただろうか。身近で間抜けな2つの出来事である。ユニクロの例は、リーズナブル(私含めユニクロファンのために安いではなくリーズナブルと言わせていただく)がゆえに商品を見極められず返品に至った。スプーンの例は、高いものを買ってしまいもっと安く済むものがあったのにと落ち込むが、高い理由を実感して満足した。2つの例に共通するのは、値段が意味する自分にとっての価値を知ったということだ。値段には必ず意味がある。高いものには高い理由が、安いものには安い理由が。当たり前だが、2つの出来事から強く実感した。これは商品のジャンルがメジャーで需要が高いほど顕著だ。値段の理由を知っているか、気づけるか、知ろうとできるか。値段に惑わされず、自分にとっての価値を吟味できるかどうか。それが、物を買うとき、そして買った後にも大事になってくる。もちろんマイナーで専門的なものは値段がすべてではないし、お金にとらわれすぎるのも良くないが。

『買う理由が値段ならやめておけ。悩む理由が値段なら買え。』

みんな大好きツイッターでいつぞやに私のタイムラインに流れてきた名言だ。印象的だったので覚えていた。端的だが、物と値段に対しての本質をとらえているように思う。値段で判断することはつまり、人を外見で判断するようなものだ。値段で悩むということは、それだけ値段以外のことを知っているということだ。需要が高まればすぐにパチもん廉価版の似たり寄ったりが姿を現す現代で、値段に惑わされず物の本質を見極めるのは難しいのかもしれない。しかし、なんでもかんでもじゃなくていい。どうでもいいものにお金をかける必要はない。いつも使う物、趣味に関わるもの、命に関わるもの。そんなふうに自分だけの判断基準で、大事にしたいものにはいいものを選び抜く。じっくり向き合い慎重に。そして選び抜いたいいものには惜しみなくお金を払う。それこそ買い物の醍醐味ではないだろうか。

 

私は、好きなことを仕事にしたいと転職活動して、知識も経験もない世界に飛び込んだが、その裏には一年間積み立てておいた貯金があった。一番の原動力は自分の気持ちだったが、お金が行動を起こせる理由のひとつになっていたのは確かだ。「いざとなれば周りに何と言われようが積み立てていたお金を崩してやりたいことやるんだ。」そんな風に思えるだけで動き出す力が湧いた。

お金は大事だ。だから、恥と面倒を承知で返品しに行くし、スプーンひとつで落ち込むのだろう。私はこれからも懲りずにユニクロに行くし、よく知らずに高いものを買ってしまうこともあるだろう。たくさん買い物をして、失敗して学んで、センスを磨いて、本当にいいものにお金をかけたい。自分が大事にしたいものにお金をかけていきたい。それはいつか、お金じゃ買えないものになって、そして、お金じゃ買えないものをくれるから。