まえしまのブログ

いや、お恥ずかしい

人はなぜ思い出の品を捨てられないのか

いやーあのさ、引っ越しってクッソめんどくさいよね。今回のおれは、実家から一人暮らし再デビューみたいな感じだったからまだよかったのかもしれないけど、これで家電と家具があったらとてもじゃないけどやってられなかったな。一人暮らしで引っ越しする人ってどうやって自分を律してるの?片付かなくない?部屋の棚、机の上、引き出しや押し入れの中。めっちゃ時間かかるよね。そんでさ、そういうとこ整理してると、卒アルとか、大学時代の色紙やら思い出の物やら、もういろいろ出てくるわけ。「うわーーー!!!なつかしーーー!!!」っつって。「大学最高だった戻りて~~~!!!」っつって。なあ。勝手に言ってろよって話。そんで気づいたら深夜になってて、「いかんいかん、今日はもうこんなもんでいいだろ(散らかしただけ)」っつって寝る。片付くわけねえわな。それでもまあ、なんとか引っ越しを終えて、今こうして新天地にきちゃってるから、なにごともやればできるんだよやれば。

 

さて。『思い出の品を捨てられないのはなぜだろう。』

一年間使った部屋はもともと姉の部屋だった。戻るから空けろというので、すべて空っぽにしなければいけなかった。進まない片づけをしていてふと思って、メモしておいたのだろう。いやまてまて、捨てられないのは当たり前でしょと、思うかもしれないが、当たり前なことに疑問を感じたのだ。そりゃ捨てられるわけないけど、なんで捨てられないんだろう。

恥を承知で、ためしにいくつか出てきたもの挙げてみよう。

 

高校の卒業アルバム。でた、正門からだけならすげえ綺麗な詐欺校舎。東館を映さんかい東館を。陸班の仲間と遅くまで松尾でよく走った。休み明けは真っ黒だったな。最後の高松祭は最高だった。あの雰囲気と高揚した気分は二度と味わえないのかな。みんな今どうしているのだろう。

服を片づけてある段ボールから出てきた、大学1年のころのクラスTシャツ。なんだこのへんてこなニックネームは。そうか、このときはまだ自分をさらけ出すのが恥ずかしかったのか。あの頃もっとお金や時間の使い方を知っていれば。好きな人への気持ちの伝え方を知っていれば。

同じ段ボールから出てきたバイト用のぼろぼろのTシャツ。店名は擦り切れそう。叩かれながら、怒られながら、火傷しながら、つまみ食いしながら、元気によく働いたなあ。働いて稼いだお金を貯めて、何を買ったっけ。どこへ行ったっけ。

クワガタのみんなから二十歳の誕生日にもらったビール模様の小冊子。表紙には「我らがまえしまりょう 生まれてきてくれてありがとう」の文字。いやいや、なんてことを言ってくれるんだ。こっちがありがとうだよ。倍返しだよ。一体おれのアパートに何回集まったんだろうか。いろんなことやったな。

ライブTシャツ、タオル、リストバンド、ラバーバンド、その他もろもろライブやフェスのグッズ。一体いくらかけたんだ。初めて行ったライブは?フェスは?誰といったっけ。出演したのはどんなアーティストだったっけ。そういえばフェス帰りは決まってあのラーメン屋だったな。いかん腹減ってきた。あのロック好きの店員さんは元気かな。 

 

・・・ほら。止まらん。やっぱり片付くわけないでしょこんなん。

 

ひとつ持っていくとあれもこれもときりがないので、引っ越し先にはそういった思い出の品と呼べるものは何も持ってこなかった。「荷物は生活できる最小限」がモットーだった。

でも、残してきた。生れたまちの育った家に、捨てずに、いつかまた見て思い出に浸るために残してきた。待てよ、当然のように言葉が出てきたが、思い出の品を捨てられない理由はまさにこれではないか。いつかまた思い出す時のためだ。

人間は忘れる生き物だ。そして時間は偉大で、ときに残酷だ。楽しかったことも、つらかったことも、笑ったことも泣いたことも、簡単に忘れてしまう。すげえ楽しかったのに、めっちゃ好きだったのに、本当に自覚しないうちに忘れてしまう。

つらかったことならむしろ忘れたいし忘れていい。忘れていても、きっと今に活かされてる。人間は無意識にそいうことができる能力があると思ってる。だから、つらい過去は自分ひとりでわざわざ意識的に振り返る必要はない。

でも、楽しかった思い出は、忘れたくない。そこに誰がいたか。その人は、その人たちは笑っていたか。自分はどんな気持ちだったか。忘れたことにすら気づけないなんて悲しすぎる。そこで、思い出の品を手に取る。鮮やかによみがえる記憶の中に、当時のままの友人が、仲間が、家族が、好きだった人が、見た風景が、感じた思いが、確かに存在する。思い出の品の中に、記憶の中に、大切な人たちが確かに存在する。その瞬間が楽しくて、幸せで、満ち足りた気分になる。また誰かに会いたくなるし、それが生きていく理由になる。明日からの原動力になる。だから思い出の品は捨てられない。たとえ忘れても、何度でも思い出すために捨てられない。いつか人生を終えて、棺桶の中に一緒に入れてもらうまで、決して捨てない。