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まえしまのブログ

自己満足ですのでお構いなく。

わき毛の存在意義から生きる意味を考える

転職活動をしてきた。履歴書を持って都会の会社に行ってきた。履歴書の特技欄には、理学療法士という仕事をそれなりに1年間やってきて、培ったものを書いた。ブラインドタッチと、雑談と、マッサージである。理学療法士をしていれば当然のようにやっていたことであるが、とらえ方次第では特技になるのでは?と思って書いておいた。その中の雑談。今日は雑談をする。転職活動のついでと言っては失礼だが、会いたい人がたくさんいたので、会ってきた。雑談なんてそこで死ぬほどできたが、なかなかどうして、自分の近況を話して、みんなの近況を聞いていると、くだらない話をする時間もあっという間に過ぎてしまった。そこで、誰にも話す機会なくずっと温めていた話をしようと思う。「わき毛」という一見、いや一聞気の抜けてしまいそうな言葉から、生きる意味を考えるというものだ。

 

さて、改めてむちゃくちゃなタイトルだな。我ながら。まあ、タイトルに負けないようにむちゃくちゃ書いていきたいと思う。

わき毛とはなんだろうか。わき毛の存在意義とはなんだろう。なさそうだよね。わき毛と言えばムダ毛みたいな風潮あるし。女性は大体剃ってるもんだよね。でも、でもね。これでおしまいにすると面白くないじゃない。生きる意味もそう。答えなんてなくていいんだけど、無くても人は生きていけるけど、考えちゃうでしょ。おれはなんのために生きているんだろうって。じゃあちょっと考えてみよう。まずはわき毛がなんで存在しているのかから考えてみよう。

わき毛。腋の下に生えている毛。そもそもなんで人間に毛があるのだろう。うーん、人体にとって大切な脳や臓器を守るため。体温を調節するため。・・・だめだこのくらいしか思いつかない。生理学を学んだのが遠い昔に感じる。まあこれが正しいとして話を進めていこう。胸やお腹に毛はないけど、臓器を守るために肋骨があり、筋肉があり、脂肪がある。脳は頭蓋骨に守られ、さらに毛髪で守られている。目の上には眉毛があり生殖器には陰毛がある。なにかを守るためや効率を上げるために「毛」という形態が発達するのは臓器の中の構造でも同じで、絨毛とか繊毛とか、なんやかんやあった気がする(忘れた。)じゃあ、腋には何があるだろう。そもそも守るべきなんだろうか。

腋は人体の構造的に肩で守られているではないか。大学1年生のころ人体構造学の初回の授業でDeltoidを学んでデルパンとか言って肩パンチをやりあった記憶がある。いくらパンチしても痣ができるくらいで、血が止まったり指が動かなくなったりはしなかった。しかし待てよ、それ以上に守る必要があるということなのだろうか。熱中症で倒れたときは腋窩を冷やすし、体温は腋窩で図るのが一般的だ・・・

少し話をそらそう。指紋認証やタッチパネル。今スクロールしているその指が、なぜ触れるだけで反応できるか不思議に思ったことはないだろうか。私はある。曖昧な記憶だが、たしか生体が発する微弱な電磁波だかなんだか、とにかくエレクトリックななにかで反応しているのだ。これを可能にしているのは、神経が通っているとか、血が通っているとか当たり前のことだ。わき毛が守っているものは、まさにこれではないのか。

神経と血管。正式な名前はググるのが面倒なのでやめておく。腋の下には指先まで枝分かれしながら伸びる、それらが通っている。脇の下には骨がない。筋肉もほとんどない。薄い脂肪と皮膚があるのみだ。腕が守ってくれるとはいえ、肩関節には可動域があるから、ノーガード状態になってしまうことがある。そこでわき毛の出番だ。大切な神経と血管を守り、体温を調節している。うん、こんなところにしておこう。これが私なりのわき毛の存在意義だ。いまキーボードを打てるのは、わき毛が神経と血管を守ってくれているからなのだ。これからは、わき毛がはみ出ていたり、剃り残されていたり、臭ったりしても少しだけ許せる気がしてきた。少しだけね。

 

さて生きる意味である。23歳にしてそんなことわかるわけないし、分からなくていいし、極論一生わからなくていい。でも考えるのは楽しい。わき毛について考えていると、曖昧になっていたけど断片的によみがえってきた生理学の知識とか、人体構造学のこととか、タッチパネルの話とか、どんどん出てきた。楽しいから考えるのか、考えるから楽しいのか、まあどっちでもいいが、とにかく考えてみよう。生きる意味って、なにも壮大なことを言っているわけではない。今日仕事を終えたら好きな人に会えるからとりあえず今日は生きるとか、好きなものを食べるためとか、お金を稼ぐためとか、人それぞれ、大なり小なりあるものだ。まあ生きる理由とも言い換えることができる。わき毛が大事なものを守っているように、自分にとって大事な人やものを守ることが生きる意味になるかもしれない。もう少し先の話になりそうだが。

たくさんあるが、今の私にとっての一番大きい生きる意味は、自分の「好き」を追求することだ。人に対しても、仕事に対しても、遊びに対しても。「好き」無敵論というブログを書いたが、本気で無敵だと思っている。「好き」に勝る原動力はないと思う。私は心を病んで、「死」というものに一度本気で向き合った。今は死ぬことが一番怖いのだが、当然人はいつか死ぬ。今苦しくても、楽しくてもいつか死ぬ。世間から見放されても、親に怒られても、恥をかいても、笑われても、100年後には言ったほうも言われたほうもみんな死んでる。それだけは確かだ。だったら、だ。それなら、自分の好きなように生きたいじゃん。何言われようが関係ないじゃん。それで死ぬわけじゃないじゃん。

漫画ONE PIECE第1巻の、主人公ルフィのセリフにこんな名言がある。

「おれはさ 海賊王になるんだ!!!」「おれがなるって決めたんだから その為に戦って死ぬんなら別にいい」

私もルフィに見習って、名言を残しておこう。

「おれは好きなように生きる。おれがそうするって決めたんだから、その為に生きて死ぬんなら別にいい」

 

いやークッセーなー。クッセー。クセェついでに、死ぬ間際に言いたいセリフも書いておく。

「生きる意味なんてわからなかった。でも楽しかった、疲れた。」